防波堤や砂浜などで釣りをしていると、可哀想なことに干乾びたフグが釣り場の足元付近に落ちていることがあります。
勿論、トビウオの様に飛んで来たわけでありません。
一部のハゼの様に地べたを這って来たわけでもありません。
言うまでもなく、心無い釣り人の仕業でしょう。
意図せず釣れてしまった外道(釣りの目的で無い魚)としてのフグをリリースせず、その辺に放置するのです。
では何故その様な行為がなされるのでしょうか?
フグを放置する『心無い釣り人』とはどんな人なのでしょうか?
私たちはそういう現場を目撃してどうすべきでしょうか?
釣り歴40年以上の筆者(当サイト管理人)が考えてみました。
※TOP写真は、Adobe Stockから使用権を購入したものです。
釣られたフグがその辺に放置される理由
そもそも何故フグはその辺に放置されることがあるのでしょうか?
勿論、その辺に放置されるのはフグだけではありませんが、多く目にするのはやはりフグです。
その理由としては大きく3つあると考えます。
理由1: 釣れやすく、食べられない外道だから
フグは海釣りにおける代表的な外道として、釣りの腕前如何によらず、簡単に釣れてしまうことがあります。
これで食べられる魚なら問題ありませんが、多くのフグは毒を持っており食べられない、または一般人として食べるためのハードルが高い。
となると多くのケース、フグは釣りのターゲットとはなりません。
・・・にも関わらず釣れてしまう。
時にはフグばかり掛かる、という悲惨な状況になることもあります。
残念ながら、多くの釣り人にとって価値の低い魚であると言わざるを得ません。
理由2: リリースしてもまた食いついてくる可能性があるから
そして、逞しいというべきか、食欲旺盛と言うべきか、同じフグが何度も釣りエサにアタックしてくることがあります。
一度釣られる又は釣られそうになっても、懲りずにまた同じ場所で同じエサに食いつくことがあるのです。
ハリが口中に残っていてもです。
釣り人の心境としては、リリースするとまた食いついてくると思えば、自分の釣り場にはリリースしたくない。
かと言って遠くまで運んでリリースするのは大変。
結果、その辺に放置、という手段に出るのだと思います。
理由3: 法律で罰せられることがないから
(注:この章は誤解無きよう最後までご覧ください)
魚は動物愛護法の対象ではないのでしょうか?
調べてみました。
動物愛護法の規定を見ていくと、動物の種類によって適用される規定の範囲が異なることが分かります。
動物の中では犬・猫が一番厚く保護されています。
ですが、魚類については、それを指定した規定はありません。
但し、魚類も動物の一種ですから、動物愛護法で表現するところの「動物一般」という大枠には含まれます。
つまり動物愛護法で保護されるということです。
そして具体的には「動物一般」には動物愛護法の以下基本原則が適用されます。
- みだりな殺傷の規制(努力規定)
- 動物を殺傷する場合の苦痛の軽減(努力規定)、 等
”みだりな殺傷はだめよ!”と言ってます。
釣ったフグをその辺に多数放置し死なせる行為は、みだりな殺傷に含まれるものと思います。
ところが「努力規定」なので罰則もありませんし、そのトーンは下がります。
”みだりな殺傷はやめましょう!”というスローガン的な感じでしょうか。
結局のところ魚類については実効的な保護法律は無く、釣り人のモラルに委ねられている状態です。
※勿論「資源保護」観点の法律は別にありますが主旨が異なるのでこの記事では触れていません。
『心無い釣り人』とはどんな人?
この記事の最初に、「フグをその辺に放置するのは心無い釣り人の仕業」と書きました。
筆者は実際に該当行為を行っている釣り人を何人も見てきました。
そして意図せずともコミュニケーションを取ったことが何度もあります。
多くのケース、その人が居なくなった後に放置されている魚に気が付くのです。
では、それら『心無い釣り人』は人格異常者であったり何か特殊な人たちなのでしょうか。
答えはNO(ノー)です。
ごく普通の一般人であり、多くは気安く話せる人たちでした。
逆に好感が持てる人も居ました。
筆者はフグであろうがどんな魚であろうが、その辺に放置し死なせるような行為を肯定はできないし、行う人を見るのも嫌です。
ただ『心無い釣り人』が悪意を持って行っているのではなく、多くのケース古い価値観を持った比較的年配者の行為であることに気が付きました。
あくまでも筆者経験から導き出した傾向の話です。
勿論、持って生まれた個人の資質や親の教育などにより、年代問わず『心無い釣り人』はいます。
古い価値観とは、魚を食料としての側面でしか見ない価値観のことです。
私たちは、魚は食料である以前に生き物であり、時にはペットになることがあることを理解しています。
しかしながらこのような概念・道徳観点は戦後混乱期が過ぎてから少しずつ浸透してきたものです。
動物愛護法が制定されたのが1973年と他の法律に比べれば日が浅く、年配者の方に魚を食料としてしか見ない人が居ても不思議ではありません。
食べられなければ捨てる。
リリースして、またエサに食いつかれる位ならリリースせずに捨てる。
以上のように『フグ放置問題』は、人の善悪でなく魚に対する価値観の違いが根底にあるものと考えています。
『心無い釣り人』は必ずしも心無い人・悪人ではないのだと思っています。
現場を目撃した私たちはどうすべきか?
では、現場を目撃した私たち『心ある釣り人』はどう対処すべきでしょうか。
「すべき」と言うのは語弊があるかもしれません。
筆者が考えるところの、「こうしてはどうか」程度の提案だと思ってください。
口頭注意はお薦めできない
口頭注意すると無視されるか口論に至るケースが想定されます。
特に相手があなたより年配の場合、内容如何によらず口の利き方一つでトラブルになる可能性もあります。
その時に、あなたが冷静で居られれば良いのですが、相手の出方次第では手や足が出てしまうかもしれません。
相手の人を海に突き落としてしまうかもしれません。
なので筆者としては口頭注意はあまりお薦めできません。
他人の行動を正すのは簡単なことではないのです。
海に帰してあげる
結局のところ当記事において筆者が言いたいのは、一つだけです。
干乾びたフグでも海に帰そう!
釣られたばかりの元気なフグは勿論、干乾びて死んでるように見えるフグも含めてです。
理由は二つあります。
まだ生きているかもしれない
過去にこんな経験があります。
ある漁港に釣りに来た時、フグが数匹放置されていました。
既にカラカラに乾いて死んでいるように見えました。
いずれにせよ海に帰すべきだと思い、海に投入。
しばらくは水面をただ漂っていましたが、その内の一匹が次第にヒレをパタパタ動かし、泳いで海中消えていきました。
カラカラに乾いて死んでいるように見えてもまだ生きている可能性があります!
住んでいた場所に帰すべきだから
フグが生息しているのは海です。
地上ではありません。
フグが海中においてその生涯を終えた時、カニや貝などがその身肉を食べ、その恩恵を受けることができます。
それは地上で死んだフグでも海に戻せば同様のことが起きます。
一方、地上に残されたフグは、野良猫は勿論トンビですら毒のある彼らを食べることはありません。
干乾びて次第にバクテリアに分解されるのを待つのみです。
ゴミとして回収されれば、焼却されるのみ。
そう考えれば、食物連鎖の中に戻してあげるほうが、どれだけ彼らの死が有意義なものになるか、ご理解頂けると思います。
あとがき
色々書きましたが、筆者が言いたいのは前述の通り、「干乾びたフグでも海に帰そう!」これだけなんです。
そう、この記事のタイトルです。
古い価値観を持った人たちに対してどうこうする必要はありません。
この記事をご覧になった『心ある釣り人』である皆さんが行動し、干乾びたフグが釣り場から居なくなる、この記事がそのための一助となれば幸いです。
<参考>
環境省自然環境局ウエブサイト(動物愛護法の対象動物種の範囲)
<更新履歴>
2019/11/25 公開
2021/03/23 見出しの小変更